人生なんて自分が納得できる生き方じゃないと嘘な話 【自分の中に毒を持て】
人生なんて自分が納得できる生き方じゃないと嘘な話
先日に文庫版で出版された故・岡本太郎著の名版「自分の中に毒を持て」を読んでえらく感化されたのでちょっと小説っぽく書いてみる感じになりました。
簡単に一言で要約するなら「よく人は現状に不満があるというもののリスクある選択をとることができない、だがリスクある選択をそれ自体が理由で選ばないのなら現状を生きることに迷いは生まれないはず。ということは裏を返せばそれはつまりリスクある選択にこそ自分の納得できる人生の道が広がっているということだ。常識を外れてこそ自分の納得できる人生を生きられるはず。芸術は爆発。」みたいな感じです。(ぜんぜん一言じゃない)
とかく内容が刺激的でセンセーショナルです。
読む人にとってはほんとに人間性が一変するようなポテンシャルを秘めた一冊だと思います。
その証拠に「マコなり社長」も人生を変えた一冊としてこの本を紹介していましたし。
岡本太郎という人の生きざまとその哲学はある種マイノリティな上位の成功者という裏付けがなされたものだとの評価がいまや通念になっていますが、実際に本人が手腕、もとい筆腕を振るったこの著書は「常識はずれの生き方の厳しさを常識的な感性で説いている二面性をもったような説得力ある内容」です。
岡本太郎という人の素晴らしさもさることながらこの著書はそれ自体が価値の高いものだなあとハラハラして読みすすめました。
結論 人生は自分が納得できるかどうかがすべて
今もこうして思考の時間にふけるほどに、自己の意識が自分自身を離れて第三者的視点で自分を取り巻く世界を見ているような気分になる。
人は毎日「小さな決断」を迫られて生きている。
それはよくよくみるとほんの小さな瞬間に生まれている。
例えるなら朝起きたとき、顔を洗うのか葉を磨くのか、朝食を食べるのかコーヒーを飲むのか、仕事に行くのか勉強するのかなどといった人生の過ごし方そのものだ。
その選択と決断のひとつひとつが日常を作り人生を作る。
ならば自分の人生をつくっているのは自分の意識である。
一生を思考しながら生きる人間にとって「人生をどう生きるか」というのは「どのように選択していくのか」といいかえることができる。
人生をどう選択すれば満足に過ごせるのか。
答えはシンプルに「自分が納得できるかどうか」だ。
成功するとか評価されるとか友だちが多いとか頭がいいとか、そんなことは人生を満足に過ごす上でまったく優先されるべきでない運命である。
大事なのは「選択することに納得できるかどうか」のはず。
自分が納得さえしていれば失敗しようが無一文になろうが孤独だろうが勉強できなかろうが、すべては付加価値のようなものに過ぎなくなる。
そもそも多くの人は優先順位をはきちがえている。
「能力があったから成功した」とか「人付き合いが上手いから出世する」とか。
私に言わせればすべては通過点であり途中経過である。
もとをたどって分岐点にたったとして、その瞬間に自分の選択した理由がその結果につながっているに過ぎない。
ようは「成功した」から「能力が高かった」と評価されているだけのこと。
「出世した」から「人付き合いがうまいもんなー」と言われているだけのこと。
そんなところに自分の人生の答えはないしそもそも他人の中にあるはずがない。
他人からの評価にあるはずないのだから他人からどう映るかは問題ではない。
人生なんて自分が納得さえできればそれでいい。
でなければ嘘だ。
瞬間瞬間に命を燃やす。
選択に魂を焦がす。
人間熱くなったときがほんとの自分に出会えるんだ! by 松岡修造(急に)