心の傷との向き合い方 【自分の心をケアできるのは自分】
心の傷との向き合い方
介護をしていると人とのやりとりで何気なく心の傷つくことがあります。
それは利用者さん相手のときもあれば同僚相手のときもあります。
これは特別なことではなく社会に生きていればそれなりに誰もが経験することだと思います。
それを少し介護の観点から切り口をとってみると「傷つける側」と「傷つく側」はまったく別次元でとらえられます。
介護の施設は短期的な記憶保持が難しい方は少なくないです。
そして脳や機能に障害をもつと人は「理性が保ちにくくなる」ということもよくあります。
つまりもしあなたが「傷つけられた側」だとしても相手はそのことを忘れてしまっているというケースは多々あります。
ここで「傷つけられた側」であるあなたと「傷つけた側」である相手を同じ次元でとらえてしまうとどうしてもやりきれない気持ちが残ります。
この気持ちこそ介護施設での虐待というかたちで顕在化してしまうという背景も昨今の事件にはあるように思います。
さて、私がここで言いたいのは
「やられたからってやり返す精神は終わりない連鎖にとらわれちゃうよ」
とか
「本当の仕返しは相手にしないこと」
とかいった精神論ではありません。(もちろんそういう精神でいるほうが平和に過ごせるとは思っていますが)
あくまで
「傷つける側」と
「傷つけられる側」
の次元は
別
である説。
です。
熱烈に決別したい切実な現実をここに性別関係なく整列して僭越ながら演説。(チェケYO!)
仕返しの気持ちは相手にも自分と同じ思いをわかってほしいから
根本はここですよね。
しかし「傷つけた側」が自分の行動を相当覚えていないという限りそれを後悔したり悔やんだりできない状態です。
だから相手に傷つけた行動を反省させたいということが完全に断定できません。
また、相手にも自分と同じ思いをしてほしいと思っても自分と同じ思いを感じたかどうかは結局自分にはわかりません。
それで自分の心が満たせるとしてもその達成感は一瞬です。
そのあとには「自分が相手にしたことを自分で遺憾なく認識する期間」がやってきます。
結局人は「他人に対する行動を自分の心で自分自身みつめている」生き物です。
理由はどうあれ他人に嫌な思いをさせようとした時点で「他人に嫌な思いをさせようとする性質をもった自分」になるということです。
だからといって常に品行方正に生きるべきとも思いません。
むしろそれって現実離れしていると思います。
現実離れして変人になれというのでなく浮世離れでも好きのままでいましょう。
理想の自分をつくる作業。
それを他人に対する自分の行動でつくっていく。
どうでしょう?