プロは「できる」だけではダメな話 【技術を超えた心の掌握】
プロは「できる」だけではダメな話
プロ ーそれは己の能力ひとつで人を魅了しその感動の対価として資本を替える気高くて尊い生き物であるー
というのが私のプロの解釈ですが(基本的にプロのアスリートも大好きで尊敬しています)、世の中はプロの人が最高レベルの技術をもっているというわけではなさそうです。
なんならアマチュアでもプロと渡り合ったりプロを下したりする場合もあるぐらいで、アマチュアの中にもプロレベルの技術を持っている人はいます。
この話のタイトルにもしている「プロはできるというだけではなれない」という話はもともと楽器でプロを目指していた人から聞かされた言葉です。
この発言には私はものすごく共感しています。
とくにクリエイティブな分野はこの傾向が強いと思います。
スポーツでは勝ち負けの基準がハッキリしていますから成績を数値化することで目標が明確になります。
たとえば野球やサッカーなどの点数のスポーツは「勝ちがもっとも多いチームが優勝」だと決まっています。
ですが絵画や楽器などの演奏は技術を数値化することが難しかったりします。
だから「誰がもっとも優れている」とか「この技術こそ必要だ」という議論はたびたびなされていてかつ正解がありません。
この分野のプロは「技術」と「人の心を揺さぶるパフォーマンス力」も必要です。
さらにいうなら「人柄」や「発言」なども含まれてきます。
この「技術」以外の周辺の能力は後天的に変えられる部分が少ないと思います。
つまり「スターはなるべくしてスターになる」ということです。
もちろん努力量もすさまじいですがまずその分野の才能に恵まれていないといけません。
プロの介護士とは?
では「プロの介護士」とはなんでしょうか。
介護はどちらかというとクリエイティブな側の技術に分類されると思います。
なぜなら「これが優秀だ」という基準が数値化できないからです。
一応国家資格がありますがそれと技術レベルは比例しません。
むしろ介護の国家資格は知識勉強を図る側面がメインです。
クリエイティブなプロというのはプロ側が意識して定義されるものではなくやはり「相手から認められて」プロだといえるようです。
絵師やストリートパフォーマーに近いと思います。
何が言いたいのかと言うと「介護士としてお金をもらっているならば利用者からの評価を無視した介護はするべきでない」という意識は必要なんじゃないかな〜と思います。
介護は施設に雇われている時点で給料がもらえますから自分で意識しないとプロとしての振る舞いは身につきません。
つねに相手のしてほしいことをくみとって相手に貢献しながら必要なことを自分で見つけていく。
そんな介護士になりたいなと思います。
もちろんみんながみんなプロを目指すべきだとも思っていません。
人はみんなそれぞれ輝ける場所が違いますから。
あくまで「プロ」という側面で介護士を見たときの考察でした。