コロナウイルス拡大にみる心のすくい方 【感染しても言いにくい風潮を対策したい】
コロナウイルス拡大にみる心のすくい方
このところ連日で報道されていて世間の関心も高い「コロナウイルス感染への注意喚起」ですが世界でみても日本でみても徐々に広がりをみせてきています。
ウイルスの性質上完全に遮断するのはどうしても難しく、人の生活があるところでは生命力のあるウイルスの格好の土壌となってしまいます。
感染拡大を防ぐことに関しては政府や労働省をはじめ各方面でアナウンスされているように
- 手洗いうがいの徹底
- アルコール消毒
- 体温検査での体調の変化をみる
- マスクで飛沫感染を防ぐ
- 人の交流が多い場所は避ける
などなど言われています。
今回は「コロナウイルスの感染拡大は防げなかったのか」とか「むしろウイルスよりもウイルスに対策をできないことこそ問題だ」とか問題を問題視する話ではありません。
「言いたくてもまわりの批判を考えると言い出せなかった」というところにフォーカスする
感染が判明した方の中には「コロナウイルスの症状に近い状態ではあったがまわりに迷惑がかかることを考えると言い出せなかった」という話があったと聞きます。
こういったことがあると必ず「隠すことが自体を悪化させる」とか「自分本位の発想だ」とかいって避難する声も上がります。
もちろんその意見をあげる根拠があるからにはそういった声が出てきてしまうのはしかたないことだとは思うのですが私としては「みんながみんな強い心で事態を捉えて行動できるわけじゃない」と思います。
それがまだよく知られている「インフルエンザ」であるならまだしも今回はその脅威が強く叫ばれている未知のウイルス。
そこを胸張って声を上げるのはかなり心理的なハードルが高いと思います。
だからこの「声を上げにくい状況」を非難するのでなく「声を上げやすい環境を整備する」ことも必要だと思います。
人は基本的に心の弱い生き物である
私は介護をしています。
介護は基本的に「ひとりでの作業」が多いです。(場所にもよりますが)
そういった「ひとりでの作業」という環境は良くも悪くも隠しごとを生み出しやすいです。
あまりいいデータではないかもしれませんが介護施設での暴力や虐待といった事件が多く報じられるのはそういった状況が生み出してしまっている側面もあるはずです。
あるいは「自動車でのひき逃げ事故」の心理にも似ているように思います。
これはもうその環境で働く人が悪いというだけではなく「ひとりでの作業という状況におかれたときの人間心理」としてどうしても逆らえないものがあります。
基本的に人は心が弱い生き物です。
自分を守ろうとする防衛本能があるために、事態をなくしてしまいたい行動にはしるのはむしろ本能的な色が強いです。
コレ自体が良い悪いではなく、私が言いたいのは「そういった隠してしまう状況をなるべくなくすように取り組んでいく」ことがいいんじゃないかと思います。
介護を複数名でおこなうように。
ウイルスの感染チェックも画一的に同時におこなえば多少は声をあげやすいんじゃないかと思います。
まあ難しいことであるのは理解しています。