介護でしか経験できないこと 【人の生活に密着】
介護でしか経験できないこ
この話題も何度か記事にしたことがあるのですが改めて「介護でしか経験できないこと」を発信して今一度「介護の魅力」をお伝えしたいです。
みなさんは「人の生活に密着する」ということをどのようにイメージしますでしょうか?
貴重な経験のひとつは「人の最期を看取る」こと
介護、もとい医療福祉の現場ではたらくうえでの貴重な経験は「人の最期を看取る」ことにあると思います。
人にもよりますが自然に衰弱期を迎えて最期を迎えるまでの過程は身内の看病をする以外では経験できないことだと思います。
それも「ほぼ毎日のように本人に会って状態の変化をみる」わけですからそのなかで思うことはほんとうに複雑です。
最初に出会ったときに元気だったならなおのこと思いもひとしおに心に寄せ返します。
こういった経験から思うことは「人のためにできることは何があるのか」とか「人に寄り添って介護してきたなかで後悔はないか」とか、私の場合は毎回考えます。
それでも結局その時のベストを尽くすしかないんですけれどもやはり「他にこんなやり方もよかったな」とか「これは本人にとって苦痛だったかもしれないな」とか考えることは度々あります。
人の生活のクセがわかる
これも介護の特色だと思います。
人の生活のクセがわかります。
たとえば「パジャマは肌着なしで着る」とか「服もズボンも靴下も右側から着る」とか「この返事はたぶん気乗りしていないな」とか。
そこから「同僚やスタッフの性格のクセ」も観察するようになります。(私だけかもしれませんが同僚にもそんなことを言っている人がいたのでそれなりにみられる現象のようです)
「この人はたぶんこの分野については自信あるから聞いてあげると喜ぶなー」とか「逆にこの話はたぶんあまり知らないから深く聞かないほうがいいな」とか。
なんだか人をコントロールしようとしてるみたいであまり印象よくないかもしれませんね。
まあコミュニケーションをする上での指針みたいなものです。
認知症などの知識が身につく
実際に介護の現場でかかわるわけですから文字通り「身につく」状態になります。
認知症について理解があれば身内、たとえば自分の親に対しても「認知症が始まったか」と冷静に対応できます。
それが認知症に初めて触れる人にとっては焦る出来事だと思います。
「何回言ってもこちらの言うことを信じてくれない」「何度説明しても理解しようとしない」と半ば怒りの感情も生まれるかもしれません。
こういった認知症や身体の変化、たとえば「人工肛門」なども知識があればやはり対応しやすいです。
どのような生活になるのかとかもイメージしやすいですし。
人の生活から人生までさまざまな学びがあることこそ介護の大義だと思います。
興味がある方はぜひ介護をしてみてください。