看取りの感覚 【最期のときをともにする】
看取りの感覚
介護をしていると他ではできない貴重な経験をすることがあります。
その一つが「看取り介護」です。
実は介護を始めて5年あまり「息を引き取る瞬間」に立ち会ったことがなかったのですが先日に看取る瞬間に立ち会ったので、この感覚を忘れないためにも記事にして発信します。
亡くなったときにそれまでの関わりを振り返る
亡くなってまず頭に浮かんだことは「しっかりと相手のためになれる関わりをできたかどうか」でした。
それも「楽しいこと」とか「嬉しいこと」というより「穏やかに過ごせたかどうか」が私の中で大きいポイントでした。
これは介護士によって違う部分ではあるのでしょうがなんとなく「自分がもし高齢になって望む暮らしはどのようなものか」と想像したときに、「毎日楽しく」とか「美味しいものをできるだけ多く食べたり飲んだりする」というよりも「何気なく静かに穏やかに過ごせたらいいな」と思っているからです。
つまり介護士自身にとっての「高齢での暮らし」が如実に出てくる部分だと思いました。
振り返りは後悔が残るかもしれない?
そして同僚に聞いてみると「その人のケアを振り返るとどうしてもできなかったこととかしてあげたかったことを後悔してしまう」という意見がありました。
「他の人のケアの参考にする」とか「その人の介護の知識としてストックする」ならいいと思います。
が、私は後悔ばかり振り返ると介護士自身が前に進めないんじゃないかなーと思います。
もちろん「してあげたかったなー」と振り返れるのも大事ですが、「自分ができたこと」もしっかりと自分で把握するのも大事だと思います。
「こんなことができた」とか「これをして喜んでくれていた」というプラスの側面もしっかりと覚えておく。
そしてそれを他の人にもしてあげる。
これで自分にとっても前を向ける根拠になりますし、後悔ばかり振り返るのはなんというか「最期を看取った方に対して逆に心苦しい」と感じます。
どんな人でも付き合うことで自分にいい影響をもらって生きていくほうが自分にとっても良いですしなにより「付き合う相手」も喜んでくれると思うんです。
だから私は「最期のときをともにした人」からもしっかりと良い影響をもらって自分の人生を歩いていきたいと思いますし、そうすることでその人も喜んでくれるような気がします。
もし誰かが私と関わるならみなさんには私が良いとか悪いとかどう感じるにしても自分の人生にプラスにしてほしいです。
それが何より自分には嬉しいです。
残された家族への心遣いも忘れない
介護士の立場だと利用者さんとはほぼ毎日顔を合わせていますし、どんな状況でどんな容態かもしっかり把握できます。
が、家族さんは違います。
どれだけ高齢になってもその人にとっては大事な親だったり身内であります。
亡くなることのショックはやはり心に大きく響きます。
そんな家族さんへの心遣いも介護士としては意識するべきことだと感じました。
それもひとつの介護なのかなーと強く感じました。
まとめ 貴重な体験になる
介護士としても人としてもかなり貴重な経験になることは間違いないです。
この経験からもできるだけいろいろなことを学べるように自分自身成長していきます。