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完璧を目指さなくていい話 【人は誰しも完璧になどなりえない】

完璧を目指さなくていい話

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生きているとどうしても落ち込んだりすることがあります。

そんなときは周りの人が自分より優秀に見えてしまい「どうして自分はこんなにできない人間なんだ」と落ち込みがちです。

でもそれっておおいに勘違いしていると言うか視野が狭まったうえで自分を捉えてしまっています。

今回は「完璧を目指さなくていい」話。

 

結論 人は誰しも完璧でないから

 これが単純にして結論なんですが、「人は誰しも完璧でないから」ですね。

当たり前なんですけどなぜだか人は完璧を目指したがります

そして完璧を目指す人は他人にも完璧であることを求めます。

 

しかし生物学的観点からいって人がミスだと定義することは必ず原因や理由となる思考が存在します。

 

すべての生物が本能で知るように、人のミスもまた「本能の一部」なのです。

 

つまり人が行うことにミスや失敗はありません。

あくまで「自分の定義」でしかないわけです。

 

完璧に生きようとしても疲れるだけ

人は完璧に生きることができない以上、それを自分に求めるのはいわば「消耗戦」です。

どれだけうまく生きれたとしてもどこかで必ず破綻する、いわばジリ貧状態です。

それを自分に課すというのは不毛だと考えられます。

 

なので「自分のミスは自分がわかっていればそれでいい」と開き直って考えるのも一興です。

または「みんなもミスするのに自分だけミスしないわけがない」と考えるのもひとつの意見です。

 

自分が決めたことは全て自分の責任、人から言われる責任は人の責任

これは私の持論みたいなものですが、「自分が決めたことは全て自分の責任、人から言われる責任は人の責任」ととらえています。

 

説明するのがすごく難しいのですが、ようは「自分が決めて起こることはたとえ他人が悪いように分析できてもそれを選んだ自分が悪いとする、逆に自分の選択しえないことで起こった責任は人から責められようとも絶対に自分の責任にしない」という考え方です。

 

本当は自分に起こるすべてのことを自分の責任としてとらえられる器があればかなり大きく成長できると思うのですが、それだとあまりに自分を責めすぎてつらくなっちゃうので「自分で決められないこと、あるいはほぼ自分に選択権がないことは絶対に自分の責任だと思わない」という謎ポリシーをつくりました。

 

でもいまのところこの発想で生きてきた私よりも幸せを表現する人にまだ出会っていないのでおそらく私にとってベストな考え方なようです。

 

みなさんも完璧を目指すのはやめてゆるやかに心をほぐして生きてみてはいかが?