介護は「持ちつ持たれつ」の話 【介護施設は小さな社会】
介護は「持ちつ持たれつ」の話
介護施設の仕組みには「持ちつ持たれつ」だという見方ができるんじゃないかなーということを昔から思っていましたので紹介します。
私が提唱している「介護施設は社会構図の縮図である」シリーズです。
利用者⇛介護士の目線
まず利用者目線から介護士への関係を考えてみます。
いわずもがな利用者が施設を使用したいという「お客様」の立ち位置で利用料を支払って私たち介護士の給料になっています。
なので利用者のニーズは必須です。
そしてそのニーズを生むためには「利用者の要望を叶える」という行動や提案をしていかなくてはなりません。
しかし介護施設は法律により制限されていることも多くあります。
たとえば特養でいうと「お酒」の提供は禁止です。
でも利用者の方にはお酒が好きな方ももちろんいらっしゃいます。
そこで「要望を叶える」ということと「法により制限されていること」という間の葛藤が生まれます。
この葛藤をうまく解消していくのが介護という仕事の専門性のひとつでもありますが、ここで利用者が「私はどうしてもお酒が飲みたい。じゃないと介護士のいうことも聞くわけにはいかない」という態度をとってしまうとどうなるか。
答えは「利用者自身の生活ができなくなる」となります。(まあ極論ですが)
なんせこちらからできることもなくなっていくわけですから「施設を出ていく」か「施設の意見を受け入れる」かのどちらかを強制しなくてはいけなくなります。
ようするに利用者目線で言ってもお客様という立場だからって自分の意見だけを推し進めると自分が損するという結果になります。
介護士⇛利用者の目線
続いて介護士目線から利用者への関係を考えてみます。
先程述べたように「介護士は利用者の要望を叶える」必要があります。
しかし介護士にも得意不得意がありますし、感情もあります。
なので物理的には可能でもどうしたってできないことがあります。
たとえば「毎日私の部屋の服を整理してほしい」という要望があったとします。
物理的にはそれほど難しいことではありませんが精神的に「私はお手伝いじゃないのに・・・」と感じてしまう人がいるかもしれません。
むしろこの「召使い的な扱いをどうしても受け入れられない」という感覚は介護士にとって大きな課題だと強く感じています。
だからといって「私は召使いではないのでこのお願いは聞けません」と介護士エゴを頑なにしてしまうと利用者としては「融通がきかない」となり不満がたまります。
こうなると利用者は利用したくなくなり、介護施設自体が運営できなくなっていきます。
ようするに介護士目線で言っても決まりごとにだけのっとって最低限必要なことはこなせばいいという自分の意見だけを推し進めると自分が損するという結果になります。
自分の意見だけでなく相手の意見も聞きながら落とし所を探していくのが介護施設であり社会である
なので結論は「自分の意見だけでなく相手の意見も聞きながら落とし所を探していく」ということが必要になります。
そしてそのための「仕組みづくり」がとても大事だということです。
これが社会の構図ともいえるのではないでしょうか。
人はひとりでは生きていけません。
みんなで助け合って生きていきましょう。