介護で読み解く 生きることの本質を考える 【お金は稼ぐことが目的になってはいけない】
生きることの本質を考える
みなさんにとって生きることとはどういうことか?
介護を通して考えてみました。
介護施設で生活する方の生きる感覚とは?
介護施設に入所された方はいわば意思が制限されます。
外出したいときに気軽に外出するのは難しいし、身体の調子が悪くなっても病院へ受診しに行くのにもわざわざ話を各所に通さないといけません。
そんな環境で生きることってどういうことなんでしょうか?
もちろん人の感覚を完全に知ることはできないのでどうしても推察になってしまいますが、まず言えることは「今いる環境を疑わなくなる」ということ。
私は特養で働いていますが、入所してこられる方の行動はある程度パターンがあります。
簡単に言うと「泊まりの感覚で生活が始まる⇛帰りたい願望が強くなる⇛しだいに諦めて帰りたい訴えがなくなる⇛生きることの気力が鎮静していく⇛筋力が落ちる・・・」というのがおおむねのパターンです。
とくに施設での生活が始まってから帰りたい願望を訴えない人はかなりまれです。
これは仮に私たち一般の人間が生活環境を強制されることを想像しても同じように思うのではないでしょうか。
ここで私が注目したいのは「帰りたい訴えがなくなって生きる気力が鎮静する」こと。
つまり人間は今いる環境を我慢してしまう生き物だということです。
考えてもどうにもならないと本能で察してしまうと、今の環境を正当化する性質があるようです。
これは私たちの労働環境にも当てはまる
そしてこれは私達の労働環境にもそっくり当てはまると思います。
やめたいとかしんどいとか言う声は多く聞かれるわりに実際に転職したりやめていく人はそんなにいない。
これはなぜかというと「次の仕事が見つかりにくい」とか「家庭があるのですぐに行動できない」とかいろいろ理由はあるでしょうが大きくいうと「今の環境を我慢できるから」だと思います。
まず前提として、我慢できない環境ならとっくにやめているわけです。
続けているということは我慢できているということ。
もしくはストレスがないということ。
我慢することは自分にとってプラスになるのか?
ここで考えてほしいのは「我慢すること=自分の人生をプラスにできること」だと勘違いしてしまっていないかということ。
さきほども言ったように人は自分が今いる場所を正当化してしまう性質があります。
まわりに「やめたい」といつも愚痴ってしまっていたりしませんか?
しんどいことを見せるのが仕事になってしまっていませんか?
本当に自分が考えるべきなのは「この場所は自分の幸せにつながるか」です。
お金は稼ぐことが目的になってはいけない
幸せや仕事について考えたとき、「収入面」や「給料」、もしくは「社会的な立場」が欲しくて選んだり考えたりしていませんか?
はっきりさせておきたいのは、お金は使って経験を満たすことが目的であって稼ぐこと自体に大きな意味はないということ。
もしお金だけがあったとしてもそれを使えないのであれば意味がありません。
本当に得たいのは食事であったり楽しい時間であったり生活環境であったり。
何がほしいのかを明確にしておかなくてはいけません。
それこそ介護施設での生活になると自分でお金を使って経験を満たすことが制限されてしまいます。
だからこそ「お金は稼ぐことが目的になってはいけない」のです。
まとめ
- 今の環境にいることを正当化している自分がいることに気づく
- 本当に自分が必要としていること、必要なもの、必要な環境を常に意識する
- お金にとらわれすぎない、経験や体験を満たしていく
介護施設で生活することになっても、そのときにまわりにいる人を豊かにできるぐらい自分の人生を満たしましょう!
そして私たち介護士はそんな利用者の方の生活を彩れるように、人生のページをしっかりつくる手伝いができるように関わっていきましょう!