人から批判されたら「ラッキー」だと思いましょう 【批判してくる人と自分が違う感性であることを誇ろう】
人から批判されたら「ラッキー」だと思いましょう
先日こんなことを言われました。
「今何歳や?30歳かあ。今が一番楽しいときや。今のうちに楽しんどきや。若いときだけやで。」
その方は50歳前後のうちの上司(男)なんですが、結婚もされていてお子様もいらっしゃます。
社会人としてのキャリアも一般的に順調に進んでこられて今の立場って感じの方です。
なので特別「不幸な人」とか「人生つまづいた人」とは見えない(見えにくい?)方です。
なのに今は楽しくなくて昔は楽しかったということを今日も超超超、強調される感じ、です。
まさに昭和から令和レボリューション21(意味不明)。
この方に限らず私は年上の方からよーーくこんなことを言われてきました。
ただ昔から言われるたびに違和感があったんですね。
「え?あなたは今楽しくないの?というか私の人生の何がわかるの?」
みたいな感じで。
今となっては「世間話とか建前的なフレーズを言っているんだな」と柔らかく受け止めていますが前半部分の「今は楽しくないのだろうか」という不思議を今も思います。
そして気づいたことが
「ああ、自分は昔を楽しかったと懐かしんで今と比較するタイプじゃなくてよかった」
ということです。
なんせ人生つねに「最新の自分が最高の自分」(ポルシェのスローガン)ですから。
つまりつねに「今が最高に超超超、いい感じ、超超超超いい感じ」と感じています。
まさに恋をして、仕事して、歴史きざんだ地球、というか私。
さて前置きが長くなりましたが今回お話したいのは「昔を美化して説教してくる悲劇ヒロイニズムは相手にするな」とかいうことではありません。
なぜならその人はその人の人生があるわけですからほんとに今困り果てているかもしれないからです。
私が言いたいのは「人と自分の意見が違ったときはラッキーだと思いましょう」ということです。
結論 批判してくる相手とは違う感性であるということ
批判に限らずですが「意見の相違」というのはつまり「感覚の相違」です。
そして誰しも意見や価値観がまったく同じ人はいません。
だから「意見は違って当たり前」なんですね。
だから「批判されるのは当たり前」ともいえます。(誰が悪いとか正しいとかじゃなくて)
だから「批判される人とは感性が違うということじゃん。ラッキー!」なんです。
その人になりたい!ってぐらい憧れている人から批判されたらショックかもしれませんがたいてい批判してくる人って自分とはソリが合わない人だったりします。
そして批判というのは「自分より格上だ」と思った相手にしかしません。
成功者や尊敬される人はかならず誰かしらの批判を受ける側です。
だから「意見が違ったり批判されても順調」です。
そう思っただけの話でした。
人生つねにラッキー!(無理やり)