プライドや他人からの評価やら自己承認欲求やらは捨ててみてもいい 【自分を本当に豊かにするものを残す】
プライドや他人からの評価やら自己承認欲求やらは捨ててみてもいい
上記のタイトルを読まれてどう感じましたでしょうか??
実はこれらに共通点があると思ってまして、それは「抽象的でかつ捨てにくくそれでいて人生の障壁になりやすいもの」です。
いわばホリエモンの言うところの「現金」や「手柄」と同じだと思っています。
今回は「人生を豊かにするために必要なもの」を見極めましょうという話。
結論 プライドがないと情報を集めやすい
まず「プライドについて」考察してみます。
プライドが高いと
- 意地を維持して負けん気根性でがんばれる
これは強みです。
逆にプライドが低いと
- 人からの評価を気にしなくなる
- 人に聞くので人からいろいろなことを教えてもらえる
- 人から頼られやすい
- つまり人が集まる
こんな強みがあります。
いろいろ総合的に考えると「プライドって邪魔だな」と思うことが最近多いです。(昔は逆でしたが)
世間体は生きることをむずかしくしている
社会人をはじめてまもない私ですが、ずっと思っていることは「世間体は生きることをむずかしくしている」ということです。
どの社会集団においてもそうですが、たとえば「職場」にいてもいろいろな話が日々飛び交わされています。
私がこれまで所属してきた職場すべてに共通して言えるのは「みんな他人のウワサ話が大好き」だということ。
まあある種そういった情報を共有することで集団からはみ出さずに自分の身を守るだとか逆に自分の行動も自己反省して引き締めるような効果があることは否定できません。(ちなみに心理学用語でピグマリオン効果とかホーソン効果と呼ばれます)
ですが「人のウワサ話をする」ことは本当に「自分のための時間」でしょうか?
「人のウワサ話」をするには「人の言動を観察」しなければなりません。
つまり
人の言動を観察する + 人の言動を自分で評価する + それを自分の解釈で嫌に感じたり怒りに感じる + 他の誰かに言うため文章化する + 他の誰かとウワサ話をする
この総合した時間と労力と手間ってけっこう壮大ですよね。
これを自分のための時間にあてたらどれだけ人生豊かになるのかって思うのです。
このことから言えるのは「世間体や見栄をはるために他人を観察して噂したり自分の行動を他人の批判から遠ざけることは自分の人生を考えたときに有益なのかどうなのか」ということです。
私は「自分の人生は他人の評価で決めることに価値を感じない」という人生観です。
つまり「世間体やプライドや自己承認欲求といった他人からの評価に関するモノサシは完全に自分の人生から取っ払う」という発想です。
おそらくこのほうが生きやすいと思ったからです。
自分は自分の美学で人の役に立ちたいしそれを頼ってくれる人に尽力したい。
そんな生き方でいこうと思っています。
自分の価値観上等です。
ビリーブユアセルフ!(謎)