介護は突出して優秀でも怠け者でも同じくらい問題な話 【チームプレイの課題】
介護は突出して優秀でも怠け者でも同じくらい問題な話
チームプレイでおこなうことは世の中色々ありますが、介護においては「突出した存在は優れていてもそうでなくても問題になってしまう」という話です。
突出して優秀ではなぜ問題なのか?
いきなり本題を解説してしまいますと、「他の人が同じようにできないから」です。
介護というのは基本的にチームケアです。
そして目指すケアは再現性がかなり重要です。
つまり誰がやっても同じように介護される人の生活が再現できなくてはいけません。
なぜならそれが「現代における介護の理念」だからです。
ようするに「生活者の生活を手助けする」ということです。
その手助けは人によってやり方が違ったり、出来不出来があってはよくないというわけですね。
怠け者もダメだというのはこれが理由でもあります。
「みんなでひとつのことを同じようにしていく」ことを目指さなくてはなりません。
もちろん人の違いが良い面を生むこともあります。
人間には相性がありますから、介護する人を変えることで双方に負担が減ることもあります。
しかしながら一昔前まではそれぞれが良いと思うことを手助けする現場意識こそあったものの、現代では介護の方針や制度も整備されてきて「みんながみんなのためにできる介護」をつくっています。
なので「統一性と再現性のあるチームケア」が今は重要視される時代です。
突出して優秀な人はどうすればいいのか?
まず突出して怠け者の人は仕事ができなくなっていく危険があります。
なぜなら「介護する人としての需要がなくなる」から。
チームケアなのでみんなが怠ける側に合わせるとケアが成り立たなくなります。
まあだからといって私は誰よりもがんばって介護に取り組みましょうとは言いません。
それこそ自分の介護に対する意識なんて自分が決めることですから。
さて、それでは突出して優秀な人、利用者から信頼をひとりで集めてしまうタイプはどうすればいいのでしょうか?
ひとつは「まわりのケアに自分を合わせる」という方法です。
わざとまわりとのケアや意識の違いを均すわけです。
これで一応チームケアとしての質は上がります。
なぜなら統一性と再現性が高くなるから。
ただ、これはけっこう自分が精神的につらくなると思います。
良きにせよそうでないにせよ、自分の思ったケアができません。
介護に情熱や意識がある人ほどつらい方法になるでしょう。
そこでもうひとつの手は「一緒に働く人や環境を変える」という方法です。
自分が突出しない環境をみつける、もしくは自分で作ってしまいましょう。
自分が突出しない環境をみつけるには「自分が尊敬できる人」と一緒に働くことです。
尊敬できる人と一緒に時間を過ごせることはかなり大きな意味があります。
それこそ給料が安かろうと仕事に楽しみが少なかろうとです。
人生で尊敬できる人と一緒に過ごせる時間はかなり限られています。
そんな人との時間を大切にしましょう。
自分で環境をつくってしまうには「自分が人事を担当する、もしくは施設長になる」ということです。
自分の意識に似た人を集めればケアの統一性は高くなります。
しかしながら「自分と似た人」を集めるのはいわば「視野の固定化」にもつながるような気がします。
介護はそれこそ視野の広さがケアの引き出しになったりします。
怠け者でも人が喜ぶツボを知っていることもありますし、バリバリ働くひとでも悪気はないがワンマンに自己満足で押し進めてしまい利用者の喜びやQOLは置き去りなんてこともあります。
だからこそ「自分と違う意識の人」との関わりは良くてもそうでなくても意味があると思います。
逆に言うとあらゆる人から学べる人こそ介護士として優れているとも言えるでしょう。
まとめ
介護では「チームプレイ」を意識して自分だけが目立つ介護は問題意識を持っておく。(悪い意味ではない)
そしてあらゆる人から学ぶ姿勢をもつ。